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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)5433号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

斎藤浩

阪田健夫

斎藤ともよ

池田直樹

同訴訟復代理人弁護士

河原林昌樹

被告

乙川春夫

被告

大阪市

右代表者市長

西尾正也

右訴訟代理人弁護士

千保一廣

江里口龍輔

主文

一  被告らは、連帯して、原告に対し、金二四一八万五六〇〇円とこれに対する昭和六三年一一月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、原告に対し、二八八二万円とこれに対する昭和六三年一一月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告及び被告乙川春夫(以下「被告乙川」という。)は、昭和六三年一一月九日当時、大阪市立十三中学校の三年生であった。

(二) 被告大阪市は、大阪市立十三中学校の設置者であり、同校の校長、教頭以下の教員らは、被告大阪市に任用される地方公務員である。

2  本件暴行事件前の被告乙川の行状と原告へのいじめ

(一) 本件暴行事件前の被告乙川の行状は、次のとおりであった。

(1) 被告乙川は、授業中抜け出して廊下や校内をうろつき、しばしば、校外にも出かけ、ジュースなどを飲みながら帰ってくるという問題生徒グループ(以下「乙川グループ」という。)の一人であり、その中心的メンバーの一人でもあった。彼らは、目をつけた生徒や教師に対して系統的に暴力を加えつづけたため、標的になった生徒は登校を怖がり、標的になった教師の中にはノイローゼとなって休職者まで出る始末であった。また、彼らは、グループから抜けようとする生徒とその親にも、陰に陽に圧力をかけていた。

(2) 乙川グループの対教師暴力は、以前から、しばしば起こっていた。

ア 警察に届けられたものに限っても、①昭和六三年一月二〇日、バレーボールを蹴っていたことで注意されたことを契機に、前田教諭に対して、殴る蹴るの暴行が加えられた事件と、②同年九月九日の放課後、野球部のバックネットを倒しその上に寝そべっていたことで注意されたことを契機に、前田、向井、山内の各教諭及び藤間事務官に対して、殴る蹴るの暴行が加えられた事件の二件があり、被告乙川も、これらの暴行事件に加わっていた。結局、教師による指導だけでは手に負えず、警察に届けられたものである。

イ また、被告乙川と乙川グループは、昭和六三年四月から十三中学校勤務となった技術家庭科担当の庄野教諭に対し、同教諭の授業中などの機会に暴行を加えるなどし、同教諭は、そのためノイローゼのようになり、長期間欠勤した後、他校に転勤した。

(3) 被告乙川は、原告以外の生徒にも、暴力を加えていた。すなわち、被告乙川は、本件に近接した時期に、二件の対生徒暴力事件(うち一件は養護学級の生徒に対するもの)を起こしている。

(二) 本件事故前における被告乙川の原告に対するいじめは、以下のとおりであった。

(1) 原告は、中学校一年生の一学期、被告乙川から初めて暴行を受けた。原告は、被告乙川とは出身小学校もクラスも違っており、言葉を交わしたこともなかったが、被告乙川は、「ええ筆箱持っているやないけ。」と言いながら、いきなり原告の筆箱を奪い取り、さらに、原告のみぞおちを膝蹴りしてきた。そして、この時以降、一年生の間は、廊下ですれ違う際に、理由もなく、被告乙川から殴られるということが何度かあった。

(2) 中学校二年時になると、被告乙川による暴行はほぼ毎日行われるようになった。原告が休憩時間に便所に行くと、その度に、被告乙川や、乙川グループのメンバーであるA、B、Cらが、手拳で、無抵抗の原告の胸や背中、肩さらに足などを、原告が苦痛でしゃがみ込むほどに、激しく殴ってきた。ひどいときには一日に三回も被害に会うことがあった(乙川グループは、二年生時、休憩時間に、便所近くの教室付近でたむろしていた。)。

また、原告は、この場所以外でも、例えば、廊下などで偶然出会った際に、同様の暴行を受けることがしばしばであった。

(3) 中学三年時になっても、原告に対する被告乙川の暴行は続けられた。原告が修学旅行の電車の中で座席に座っていたところ、被告乙川が、原告の前の通路を通りかかり、そして、つまづいた。すると、被告乙川は、原告が足をひっかけたものと決めつけ、いきなり、靴の裏で、原告の顔面(目の辺り)を蹴ったのである。

(4) 被告乙川の原告に対するこれらの暴行は、多数の生徒が目撃していたが、皆、乙川グループをおそれて、誰一人、原告を助けることをしなかった。また、原告も、これらの事件を学校に報告しても有効な指導は期待できないし、かえって逆恨みされて報復されると考えて、学校に訴えなかった。

3  本件暴行事件

(一) 被告乙川は、昭和六三年一一月九日午前九時三五分ころ(一時限と二時限の間の休憩時間中)、同中学校南館の東側を通りかかった原告に対し、何らの理由もなく、「待て」「甲野やんか」「ハゲにしてこい」等と無理難題を言い、原告が「無理や」と言って従わないと見るや、「最近生意気や」と言って、いきなり踵で原告の膝を蹴り、手拳で頭頂部を三発殴り、さらに右手拳で左下腹部を一発強打した。

(二) 原告は、被告乙川の右暴行により、左肩左胸部挫傷及び血腹出血性ショック外傷性脾臓破裂の重傷を負わされた。

4  責任原因

(一) 被告乙川の責任

被告乙川は、故意に本件暴行行為を行ったものであって、民法七〇九条に基づき、原告の受けた後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告大阪市の責任

(1) 本件暴行事件は、以下に主張するとおり、①校長、教頭、指導主事、担任教師、以下十三中学校のすべての教師が、被告乙川に対する適切な指導をしなかったために生じたものであって、②同時に、同中学校の設置者である被告大阪市が、同中学校の生徒である原告の生命、身体、健康に関する安全を配慮すべき義務を履行しなかったために生じたものでもある。

(2) すなわち、

ア 学校側は、請求原因2記載のとおり、被告乙川が長期間にわたって引き続き暴力行為に及んでいたことを知っていたから、本件事故も十分予見することができた。

イ そこで、学校側としては、一般社会通念上の義務として、あるいは在学という公法上の法律関係に伴う付随的な義務として、学校内で全体的な組織を作り、具体的な被害申告の有無にかかわらず調査を開始して(いじめの事例では、教師に訴えたために一層激しい暴行を加えられた例が往々にしてみられるため、教師に対して被害を申告しないことがある。)、正確な事実の把握やその分析につとめ、その上で、被告乙川を十分に監視、指導したり、状況に応じて、休憩時間でも廊下に教師が立つようにするなどの適切な措置を講じるなどして、生徒の安全を保持するように努めるべきであった。

ウ ところが、十三中学校の校長、教頭、生活指導主事及び担任教師らは、漫然、拱手傍観し、何らの対策も取らないまま、被告乙川の問題行動について、見て見ぬふりをしていた。

例えば、原告の十三中学校三年のクラス担任であったM教諭は、原告が二年生時、被告乙川らから便所近くで殴られていることを目撃しながら、止めようとせず、そのまま立ち去って、その後も、原告から親身に事情を聴取していない。また、前記の修学旅行時の暴行については、O教諭が間近で目撃していながら、原告に対して「大丈夫か」と尋ねただけですぐ別の車両に移ってしまい、その後も原告から事情聴取をしなかった。

このような状況であって、十三中学校の教師らは、被告乙川の原告に対するいじめの実態を正確に知らず、被告乙川に対しても、有効、適切な指導、教育、監視をしていなかった。

(3) 結局、被告大阪市は、国家賠償法一条(校長、教頭以下、十三中学校教師全員の不法行為)もしくは民法四一五条(安全配慮義務違反)に基づいて、原告の受けた後記損害を賠償すべき義務がある。

5  損害

原告は、本件暴行行為により、以下の損害を受けた。

(一) 後遺症による逸失利益

(1) 原告は、被告乙川の本件暴行により、脾臓が二か所破裂して、総出血量二〇〇〇CCというおびただしい出血となり、結局、脾臓は摘出された(現在、原告に脾臓はない。)。

(2) 原告は、平成三年三月に大阪府立西淀川高校を卒業後、日通三和自動車運送株式会社で倉庫雑作業のアルバイトに従事し、平成五年九月から同年一一月までの平均収入は月額一五万五九八一円である。

原告は昭和四八年五月二六日生まれで、原告の労働能力喪失期間は平成四年三月(一八歳時)から平成五三年五月二五日(六七歳時)までの四九年二ケ月であって、右労働能力喪失期間に対応する新ホフマン係数は24.416である。

(3) よって、原告が右労働能力喪失によって失う将来得べかりし利益は、計数上四五七〇万一一八五円となるが、原告は右のうち一八〇〇万円を請求する。

(二) 入院雑費・看護料

原告は、被告乙川の本件暴行による前記傷害の治療のために、昭和六三年一一月九日から同年一二月一〇日まで(三二日間)、大阪市淀川区の外科豊田病院において入院加療を余儀なくされた。

この期間に対応する入院雑費・看護料は二〇万円を下らない。

(三) 入通院慰謝料

原告が三二日間入院したことは右に述べたとおりであるが、原告は、その後、平成元年二月末日までは一週間に一回の割合で、同年三月一日から同月末日までは二週間に一回の割合で、同病院に通院して、その治療を受けた。

右入院及び通院によって原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、一五〇万円を下らない。

(四) 後遺症慰謝料

原告の被った前記後遺症による慰謝料は六五〇万円を下らない。

(五) 弁護士費用

右(一)から(四)までの損害の合計は二六二〇万円であるところ、弁護士費用として、その一割に相当する二六二万円を請求する。

6  まとめ

よって、原告は、被告乙川に対しては不法行為に基づき、被告大阪市に対しては国家賠償法一条又は債務不履行に基づき、連帯して、右請求額合計二八八二万円とこれに対する本件事故当日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うように求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告乙川

請求原因は、同3のうち、被告乙川が右手拳で原告の左下腹部を強打したことと、原告が血腹出血性ショック外傷性脾臓破裂の重傷を負ったことは認めるが、その余の事実はいずれも知らない。同6の損害額の主張については争う。

2  被告大阪市

(一) 請求原因1は認める。

(二) 請求原因2について、

(1) 同2(一)(1)のうち、被告乙川が問題生徒の中心メンバーであったこと、教師の中にノイローゼで休職した者が出たことは、いずれも否認し、グループから抜けようと努力する生徒と親に対して圧力をかけたことは不知、その余の主張は争う。

同2(一)(2)のうち、アは認めるが、イは否認する。

同2(一)(3)は認める。但し、いずれも被害者が被告乙川をからかったことが原因であり、本件のように理由もなく暴力に及んだものではないので、本件とは事案が異なっている。

(2) 同2(二)(1)ないし(3)はいずれも否認する。もし、かかる事実があれば、当然、原告やその保護者から訴えがあって然るべきであるが、学校に対しての報告はまったくなかった。ことに、原告主張のとおり、連日、暴行がなされていたのであれば、それを目撃したであろう教師や他の生徒から申告がなされると思われるが、そのような申告も一切なかった。

同2(二)(4)は、そのうち原告から報告がなかったという部分を認め、その余は否認ないし争う。

(三) 請求原因3は認める。

(四) 請求原因4について、

(1) 同4(二)(1)は否認ないし争う。

(2) 同4(二)(2)は、アは否認し、イ、ウは否認ないし争う。

ア 本件事故は、被告乙川と原告間に以前からの確執があって起こったというものではなく、被告乙川が原告をからかって衝動的に起こしたものであり、突発的事故と評価される。

また、十三中学校では、被告乙川の暴力事件につき、次のように対応しており、本件事故や被告乙川の原告に対するいじめを予見することは不可能であった。すなわち、①十三中学校では被告乙川の暴力行為があった都度、被告乙川、相手方及び関係者から事情を聴取していた。②その調査結果によると、生徒への暴力は相手方にも問題行動があったものであり、教師への暴力も他の生徒数名が暴力を行った場に居合わせて不和雷同的に手を出したと評価されるものであった。被告乙川がいじめ的な暴力を繰り返しているとか、原告を含めた平素関わりのない生徒に対して理由もなく暴力を振るうというものではない。③中学校としても、被告乙川を含めた四、五人のグループについて要注意であるとは認識していたものの、同グループが、他の生徒にいじめや粗暴行為に及んだことはなかったし、他の生徒が同グループが集まっていた場所を敬遠するというということもなかった。④中学校では、生徒の問題行動に対して、全校をあげて、注意、指導、監督を行ってきたし、被告乙川の暴行に対しても、その都度、保護者とも連携を密にして厳重な注意指導を行い、交友関係や関わりのある生徒の把握に務めるなど、問題行動の再発防止に取り組んできた。⑤かかる取組みの過程で、学校側に、被告乙川と原告との間に関わりがあることは知らされることがなく、学校としても関与することができなかった(ちなみに、川端教諭は修学旅行車内の暴行を目撃していたが、同教諭は、原告との確執や特別の感情からのものではなく、宿泊先での問題行動を誤解されたことに対するうっぷん晴らしの一過性のものと判断していた。)。

いずれにせよ、本件暴行は、是非弁別能力がある一五歳の中学生の行動としては常識の範囲を越えた異常なものであり、被告乙川のそれまでの問題行動を念頭においても、かかる行動を予見することは不可能であったから、十三中学校の教師らや被告大阪市に、本件事故を回避したり、被告乙川の原告に対するいじめを防止すべき注意義務はなかった。

イ しかも、十三中学校では、次に述べるとおり、被告乙川に対する個別的な指導、監督を行ってきたのであり、見て見ぬふりをしたことはない。すなわち、①被告乙川の担任の小川教諭は、自分の授業時間中や、学級活動、昼食指導、清掃時間、休み時間や廊下で出会った際など、日頃から、被告乙川に接触し、言葉を交わすなどして観察するように努め、また、他教科の担任から報告を受けるなどして、注意、指導を行ってきた。②特に、本件事故直前の対教師暴力や他の生徒に対する暴力行為があったときには、小川教諭は、その都度、被告乙川に対し、短気な性格面を指摘してそれを改めることや、服装の乱れや遅刻等の生活態度を直していくよう注意しているし、その都度、母親に連絡して、家庭内での指導、協力も依頼していた(対教師暴力の際には、警察に指導をお願いせざるを得ないとも告げてあった。)。

ウ 中学校で、教員らが生徒と接触するのは、生徒に対する教育活動とこれに随伴する活動に限られており、教員らの生徒に対する監督義務も右の範囲に限定されるべきである。本件事故は、休憩時間のまっ最中に発生したものであるところ、休憩時間は教育活動がなされる時間ではないから、教員及び学校管理者の監督義務の程度は、危険が具体的に予見される場合(この場合は、これについての具体的な指導監督義務を負う。)の他は、生徒の年齢や社会的経験、判断能力に応じた相当な一般的な注意義務のみを負うという程度に軽減されなければならない。

(3) 同4(二)(3)は争う。

教育現場でいじめ的な暴力があったとしても、その性格上、全てについて認知することは困難である。かかる暴力を防止するためには、生徒の日常生活全般に接する保護者が学校当局に訴え、協力することなくして実現することはできない。

(五) 請求原因5は、そのうち、原告が原告主張のとおり、入、通院をし、脾臓摘出の手術を受けたものの、後遺症が残っていることを認めるが、その余は否認ないし争う。

三  被告大阪市の抗弁(損益相殺)

1  原告は、日本体育・学校健康センターから、平成二年一二月一七日に医療費として八万一四四六円、同月二一日に障害見舞金として三五〇万円を受け取った。

2  右金員は、学校設置者である被告大阪市と同センターとの間で締結された免責特約付の災害共済給付契約に基づき、災害共済給付金として支払われたものであって、日本体育・学校健康センター法第四四条一項により、被告大阪市は、右給付が行われた限度で損害賠償の責を免れる。

3  したがって、右給付がなされた範囲で、被告大阪市の責任は既に消滅している。

四  抗弁に対する認否

認める。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録を引用する。

理由

一  当事者と本件暴行行為

1  請求原因1の事実〔当事者〕は当事者間に争いがない。

2  請求原因3の事実〔本件暴行事件〕は、被告大阪市の関係では、当事者間に争いがなく、被告乙川との関係では、証拠(甲一ないし甲五、甲一一ないし甲一五、原告本人)及び弁論の全趣旨によってこれを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない(もっとも、被告乙川が右手拳で原告の下腹部を強打し、原告が血腹出血性ショック外傷性脾臓破裂の重傷を負ったことは当事者間に争いがない。)。

二  被告乙川の暴力行為等の態様と周囲の対応

1  被告乙川の暴行等

証拠(甲一ない甲一六、乙一の1、2、証人東野隆夫、同小川愛造、同岩永泰之、原告本人、被告乙川本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(一)  原告以外の者に対するもの

(1) 被告乙川は、中学校一年生のころから生徒間で喧嘩することが多かったが、二年生になっても、他人から自分の悪口を言っている者がいると聞かされたり、顔を見ても相手にされなかったなどという理由で、二、三人の生徒に、暴力を加えたことがあった。

(2) 被告乙川は、二年生の初めころから、数人のグループの一員として行動するようになり、次第に、服装や言葉づかいが乱れるようになった。右グループの生徒は、授業を妨害したり、あるいは授業を抜け出したりなどして、教師からの指導にも従わなかった。また、二年生の三学期ころは、十三中学校南館と倉庫の間で喫煙したりもしていた。

(3) 被告乙川を含むグループのメンバーら五人は、昭和六三年一月二〇日、前田教諭から、ホームルームの時間中、運動場でバレーボールを蹴って遊んでいたことを注意されて、反発し、同教諭に対し、殴る蹴るの暴行を加えた。この事件は警察に届出がされ、被告乙川は淀川警察署から厳重注意を受けた。

(4) 被告乙川は、同年三月二三日、原動機付自転車を窃取し、同年五月一八日にこの件で淀川警察署に補導された。なお、同事件は家庭裁判所に送致された。

(5) 被告乙川は、同年四月、親しい友人の生徒から足を踏まれたが、同人の謝り方が悪かったかどうかで、その生徒と喧嘩になり、同人に対して暴力をふるった。

(6) 被告乙川を含めた右グループのメンバー五人は、同年五月ころ、予鈴が鳴ったのに教室に入らないで遊んでいたところ、前田教諭から注意を受けて反発し、メンバーの一人のDが同教諭に対して暴力をふるった。

(7) 被告乙川は、同年五月下旬の修学旅行の際、被告乙川らが女湯を覗いたと疑われたことに立腹し、うっぷんを晴らすため、電車内のドア等を蹴ったりした(その時、被告乙川は精神的にいらいらした状態であったので、保護者を新幹線の新大阪駅まで呼び、引き渡した。)。

(8) 被告乙川は、同年の一学期、技術家庭科の庄野教諭の机を蹴ったことがあり、そのころ、右グループの一人のDも、授業中、庄野教諭に暴力をふるった。

(9) 被告乙川を含む右グループのメンバーは、同年九月九日の放課後、野球部のバックネットを倒し、その上に寝そべっていたところを、村井教諭から注意され、さらに、グループの一人のBが持っていたコーヒー缶を運動場に捨てたことで注意されたのに反発し、村井教諭に殴りかかろうとした。その場にいた前田教諭がこれを制止しようとしたところ、右グループは、今度は、前田教諭に対して執拗に暴力をふるうようになり、さらに、前田教諭への暴行を制止しようとして集まった向井、山内の各教諭と藤門事務員に対しても暴力をふるった。

右暴行により、前田教諭は加療約一週間の後頭部挫傷、左肩挫傷の傷害を、藤門事務員は加療約一週間の左肩挫傷の傷害を負い、事件は、教師らによって警察に届けられた。

(10) 被告乙川は、同年一〇月、養護学級の生徒に対し、些細なことから腹を立て、その生徒を殴打した。

(11) 被告乙川は、本件事故の直前の同年一一月初旬、二年生の生徒に対し、シンナー吸引を注意したところ、同生徒が被告乙川をからかうような態度に出たとして、その生徒を殴った。

(二)  原告に対するもの

(1) 被告乙川は、中学校一年生のときから、原告に対して暴行を加えるようになった。二年生になると、原告への暴行はさらに頻繁に行われるようになり、原告も、被告乙川がグループの仲間と一緒にいることを知っていたこともあり、手を出さなかったことから、ますます増長し、被告乙川の暴行は三年生の一学期まで続けられた。

なお、原告は、右暴行の頻度について、二年生のときには毎日のように暴行を受けた旨主張し、原告本人は「毎日のように殴られていた」旨供述しているけれども、①被告乙川は、直後の警察の取調べに対し、二年間の間に二〇回前後、三年生の一学期に四、五回と供述していること(甲一三)、②原告本人も、直後の警察の取調べに対し、毎日のように暴行を受けていたとは述べていないこと(甲三)等に照らし、たやすく採用することができず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

(2) 被告乙川は、前記修学旅行の際、いきなり、電車の中で座席に座っていた原告の頭部を蹴った。

(3) 三年生の二学期に入り、原告に対する暴行は一時的に行われなくなっていたが、被告乙川は、本件事故当日、特に理由もないのに、からかい半分の気持ちで本件暴行に及んだ。

2  被告乙川の暴行に対する周囲の対応

証拠(甲一ないし甲一五、乙一の1、2、証人東野隆夫、同小川愛造、同岩永泰之、原告本人、被告乙川本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(一)  原告の対応

原告は、被告乙川からの一連の暴行について、当初、両親にも、学校にも報告しないでいたし、中学三年生になって、両親に報告したときも、被告乙川からの報復をおそれて、学校には報告しないように両親に頼んでいた。

また、原告の両親も、本件事故が起こるまでの間、学校側に対し、何らの報告、相談もせず、被告乙川やその保護者らに対し、何らの措置も取らなかった(もっとも、原告の両親は、原告が被告乙川から継続的に暴行を受けていたことは知らず、当然知り得るような状況にはなかった。)。

(二)  生徒の対応

原告に対する被告乙川の暴行を知っている生徒らも、これを制止するとか、これを学校に申告するとかはしなかった。

(三)  学校側の対応

(1) 生活指導主事である東野教諭や被告乙川の学級担任であった小川教諭らは、前記1の(一)(2)ないし(11)認定の各事実を把握して、その都度、被告乙川に対し、口頭で注意し、短気な性格を指摘してそれを改めるよう指導したり、廊下や運動場で会ったときに励ましの声をかけていたが、一過性のものと考え、学校側としてそれ以上の措置、例えば、学年会議、あるいは職員会議に報告するなどして、被告乙川の暴力行為の実態を把握、調査し、全校的に取り組むようなことはしなかった。

(2) M教諭は、原告が中学二年生の時、便所の近くで被告乙川から殴られているところを見たが、原告や被告乙川から何らかの事情聴取をすることなくその場を立ち去った。また、O教諭は、修学旅行の際の被告乙川の原告に対する暴行を目撃したが、やはり原告や被告乙川から詳しい事情聴取をすることなくその場を立ち去り、その後、他の教師に報告することもなかった。

(3) 校長及び教頭は、前記認定の九月九日の前田教諭らに対する暴力行為があったときにも、担任が中心になって行動観察をしていく必要があるとしたものの、被告乙川の指導、監督を担任教諭に任せ、全校的な措置はとらなかった。

(4) ちなみに、十三中学校では、本件暴行事件以前から、原告や被告乙川以外の生徒間でのいじめ問題が散見されていた。そして、同校では、このような生徒の問題行動に対して、生徒指導部会、学年会、職員会議、職員集会等の場で情報交換を行い、関係生徒等の行動観察や関係者からの事情聴取を通じて実態を把握しこれに基づき指導していくこと、また、必要に応じて担任教師だけでなく他の教師をも含めた全校的な取組を行うことになっていたが、本件暴行事件が起こる以前に、職員会議や職員集会の場で被告乙川に関する情報交換や指導方針の検討がされた形跡はない。

三  被告らの責任の有無について

1  被告乙川の責任

被告乙川は、原告に対し、故意に暴行に及んだことが明らかであるから、本件暴行事件により原告の被った損害を賠償する責任がある(民法七〇九条)。

2  被告大阪市の責任

(一) ところで、学校側には、学校教育活動及びこれと密接に関連する生活関係において、暴力行為(いじめ)等による生徒の心身に対する違法な侵害が加えられないよう適切な配慮をすべき注意義務があると認められる。すなわち、学校側は、日頃から生徒の動静を観察し、生徒やその家族から暴力行為(いじめ)についての具体的な申告があった場合はもちろん、そのような具体的な申告がない場合であっても、一般に暴力行為(いじめ)等が人目に付かないところで行われ、被害を受けている生徒も仕返しをおそれるあまり、暴力行為(いじめ)等を否定したり、申告しないことも少なくないので、学校側は、あらゆる機会をとらえて暴力行為(いじめ)等が行われているかどうかについて細心の注意を払い、暴力行為(いじめ)等の存在が窺われる場合には、関係生徒及び保護者らから事情聴取をするなどして、その実態を調査し、表面的な判定で一過性のものと決めつけずに、実態に応じた適切な防止措置(結果発生回避の措置)を取る義務があるというべきである。

そして、このような義務は学校長のみが負うものではなく、学校全体として、教頭をはじめとするすべての教員にあるものといわなければならない。

(二) そこで、本件についてこれをみるに、前記認定にかかる被告乙川の暴力行為等の態様によれば、被告乙川の粗暴性は顕著で、その暴力行為は継続的なものであることが明らかである。しかも、度重なる対教師暴力は悪質で重大なものであり、対生徒に対する暴行の動機も必ずしも明らかではなかったと認められることからすると、学校側(少なくとも校長、教頭、生活指導主事及び担任教師)は、遅くとも本件暴行事件の直前ころにおいては、被告乙川が生徒又は教師に対して暴力行為(いじめ)等の所為に及ぶことを予見し得たというべきであって、その時点で適切な防止措置を講じておれば、本件結果の発生(被告乙川の本件暴行行為)も高度の蓋然性をもって回避することができたものと認められる。

しかるに、学校側は、前記認定(二の2(三))のとおり、被告乙川の暴力行為を一過性のものと決めつけ、漫然、継続的観察という方法の指導をしていたにすぎず、教員間、教員と生徒間、教員と保護者間における報告、連絡及び相談等を密にするとか、校長又は教頭自らが被告乙川に厳重な注意を与えたり、教員らが校内を見回るなどの指導、監督体制を全校的な規模で行うなどの措置を講じていなかったのであって、本件においては、被告乙川の本件暴行行為を未然に防止し、結果の発生を回避するための適切な措置を講じていないと認められる。結局、本件においては、少なくとも十三中学校の校長、教頭、生活指導主事及び担任教師に過失があったものといわなければならない。

(三) よって、被告大阪市は、国家賠償法一条一項に基づき、原告に対し、原告が被告乙川の本件暴行行為により被った損害を賠償すべき義務がある。

四  損害について

1  後遺症による逸失利益

金一八〇〇万円

(1)  原告が被告乙川の本件暴行行為により脾臓摘出の後遺症を負ったことは当事者間に争いがない。これを自賠法施行令二条別表後遺障害等級表にあてはめると、第八級一一に該当するので、本件においては、原告は労働能力を四五パーセント喪失したものと認めるのが相当である。

(2)  証拠(甲三五ないし甲三七、原告本人)によれば、原告(昭和四八年五月二六日生)は、昭和六三年一一月(一五歳時)に本件後遺障害を負い、高等学校卒業後就職したので、労働能力喪失期間は、平成四年四月(一八歳時)から平成五三年五月二五日(六七歳時)までの四九年と二か月と認めるのが相当であり、右労働能力喪失期間に対応する新ホフマン係数は、22.53であるところ、原告の平均月収は、金一五万五八九一円であると認められるので、右期間の原告の逸失利益は計数上一八九七万六九六〇円となる。

(3)  よって、右期間の原告の逸失利益は、原告が主張する一八〇〇万円をもって相当と認める。

2  入院雑費・看護料

金一八万五六〇〇円

(1)  証拠(甲三、甲四)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件暴行行為により、昭和六三年一一月九日から同年一二月一〇日まで三二日間、豊田外科病院に入院した事実が認められる(被告大阪市の関係では争いがない。)。

(2)  受傷の部位、程度及び治療方法に照らすと、入院生活に伴う入院雑費は入院一日につき一三〇〇円を要し、また、付添看護料は付添い一日につき四五〇〇円を要したのもと経験則上推定されるから、合計金一八万五六〇〇円をもって相当と認める。

(一三〇〇円+四五〇〇円)×三二=一八万五六〇〇円

3  入通院慰謝料 金一五〇万円

(1)  前記認定のとおり、原告は三二日間入院し、弁論の全趣旨によれば、原告は、退院後平成元年三月末日まで通院して治療を受けたことが認められる。

(2)  本件暴行行為により原告の受けた傷害の部位、程度及び治療経過等を考慮すると、原告の精神的肉体的苦痛に対する慰謝料の額は金一五〇万円とするのが相当である。

4  後遺症慰謝料 金六〇〇万円

原告は、本件暴行行為により、外傷性脾臓破裂の重症を負い、脾臓を摘出する手術を受け、前記のように、後遺障害等級表の第八級一一に該当する後遺障害を負ったものであって、その精神的苦痛は多大であり、本件にあらわれた諸般の事情にかんがみると、その慰謝料として金六〇〇万円をもって相当と認める。

5  損益相殺

(1)  原告が、災害共済給付金として、日本体育・学校健康センターから、平成二年一二月一七日に医療費八万一四四六円、同月二一日に障害見舞金三五〇万円の支払を受けたことは当事者間に争いがないので、右の障害見舞金三五〇万円は入通院慰謝料及び後遺症慰謝料合計金七五〇万円から控除するのが相当である。

(2)  右の医療費八万一四四六円は、原告が損害項目として請求していないので、これをその余の損害から控除するのは相当でない。

(3)  よって、原告が被告らに賠償を求めることができる前記3及び4の入通院慰謝料及び後遺症慰謝料の合計金四〇〇万円となる。

6  弁護士費用

本件事案の内容、審理の経過、請求の認容額等を考慮すると、本件不法行為と相当因果関係がある損害として、原告が被告に対し請求し得る弁護士費用は、金二〇〇万円であると認めるのが相当である。

五  結論

以上によれば、原告の本件請求は、被告らに対し連帯して金二四一八万五六〇〇円とこれに対する不法行為の日である昭和六三年一一月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し(なお、原告の債務不履行に基づく本件請求が認められるとしても、その損害額が右認容額を超えることはないと認められるので、右請求については改めて判断しない。)、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言については同法一九六条に各従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大谷種臣 裁判官上原裕之 裁判官次田和明)

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